COMPANY PROFILE企業情報

100年の歩み

滅私奉公の精神を礎として

「必要とされる企業となる」との信念とともに百年。
その歩みと、その想いと。

創業期

大正元年
8月
牧田與四郎、小柴源七らが「大正組」を創業
大正4年
1月1日
牧田與四郎が大正組を引き継ぎ「牧田組」として創立
大正6年 電気製鉄(現JFEマテリアル)の指定業者となる

新湊の未来を拓くべく牧田組を創立

蒸気船の進出による北前船の衰退により、すっかりさびれてしまっていた新湊。「往時の活気を取り戻さねば」との使命感に燃えた若き牧田與四郎は、持ち前の旺盛な起業家精神も発揮し、大正元年、小柴源七氏ら地元の有志とともに、土木建築請負業をおこなう大正組を創立します。さらに、大正4年、その事業を引き継いで牧田組を創立。堅実な仕事ぶりが評価され、小規模ながらも工事の依頼は途切れることはありませんでした。

昭和元年

昭和前期

昭和10年 七尾市に七尾出張所を開設(~昭和20年)、社屋購入
昭和12年 富山市に富山営業所、岩瀬出張所を開設(~昭和20年)
昭和15年 朝鮮半島に清津出張所を開設(~昭和20年)

大戦景気を転機に会社として大きく発展

牧田組が創立した大正時代初期は第一次世界大戦による好景気のまっただなか。とくに工業の発展は著しく、その波は新湊にも押し寄せてきます。総資本額500万円、敷地面積3万坪をもって、日本鋼管株式会社の系列会社である富山電気製鉄株式会社が進出。牧田組はその敷地造成と工場建設の大半にくわえ、指定業者として構内作業と現場工事も請け負うことになり、これを足掛かりに盤石な礎を築いていきます。

大東亜戦争終戦
昭和24年 通運事業を開始(~昭和62年)
昭和26年 牧田與四郎が新湊商工会議所初代会頭に就任
昭和27年 小松製作所氷見工場(現コマツキャステックス)内に氷見事業所、中越パルプ工業高岡工場内に能町事業所を開設

牧田組のシンボルとなる本社社屋を購入

昭和になると、牧田組は富山市や七尾市にくわえ、海を渡って朝鮮半島北部の清津にも拠点を開設。現在、国の登録有形文化財に指定されている本社社屋を買いとったのもこの頃で、煉瓦張りのモダンな佇まいは「新湊のロンドン」と謳われていました。 昭和10年には、県外での初の大仕事として、日本鋼管新潟電気製鉄所の工場建設にくわえ、指定業者として構内運搬と物品調達も請け負うことになるなど、つちかってきた信頼と実績が次々と実を結んでいきます。

昭和後期

昭和33年 「株式会社牧田組」として法人化
昭和34年 高岡工場を開設
(~昭和62年)
昭和37年 新潟市に新潟支店、新湊市(現射水市)に資材センターを開設
昭和44年 一級建築士事務所を開設
昭和47年 産業廃棄物処理業(収集・運搬)を開始
昭和57年 運送事業を開始

戦中戦後を乗り越え、牧田組を法人化

昭和14年に開戦した大東亜戦争。幾多の艱難辛苦を耐え忍んだ牧田組は、終戦後、復興の担い手として、新湊および近隣市町村のインフラ整備に奔走します。昭和26年には鉄道貨物をはじめとした通運事業を開始したほか、牧田與四郎が新湊商工会議所の初代会頭に就任。昭和33年には牧田組を法人化すると同時に牧田與作が社長に就任し、以後、当職は、矢田勉、牧田みさをと引き継がれて、順調な経営を展開していきます。ただ、良い時代は長くはつづかないもの。昭和末期、折からのバブル景気で業績好調にあるとおもわれていた牧田組ですが、実際は異業種参入のつまずきによって多額の負債を抱え、深刻な経営難に直面していたのです。

平成元年

平成期

平成元年 牧田和樹が日本道路公団を退社し牧田組に入社、以来トップとして活動
平成16年 運送事業を分離し「株式会社牧田商事」を射水市に設立
平成22年 牧田和樹が射水商工会議所(旧新湊商工会議所)第9代会頭に就任
平成23年 金沢事業所開設
平成27年 創立100年
平成29年 射水事業所開設
富山事業所開設

求めつづけられる会社へ日々邁進

最大の危機に陥った牧田組の舵取りを一任されたのが、当時、若干29歳だった牧田和樹。「大手術をする」という不退転の決意のもと、不採算事業からの撤退や不動産の売却を次々と断行していきます。くわえて、プロジェクトチーム制の展開、情報共有体制の構築、コミュニケーションの強化など、企業体質の改革も断行。平成16年には運送事業を分離独立するなど、分社化による専門性の向上もはかりながら、牧田組を再生の軌道に乗せていきました。平成22年には、曽祖父である牧田與四郎が初代会頭を務めた射水商工会議所(旧新湊商工会議所)の9代会頭に就任。経営とは人間を考えることであり、遂行すべきは人間性豊かな人づくりであるとの想いを日々深くし、迎える創立100周年の節目の年。牧田和樹と牧田グループは、到達した“先ず人有り”の哲学に準じるともに、継承した“滅私奉公”の精神を受け継ぎながら、次の100年へと大きく飛躍していきます。

令和元年

令和期

令和5年 株式会社MGG設立
株式会社牧田組、株式会社牧田商事、株式会社牧田治産をグループ会社としてホールディングス化

創立100周年に寄せて

盛和塾 塾長 京セラ株式会社 名誉会長 稲盛 和夫

 牧田さん、ご創立100周年誠におめでとうございます。
創立以来、時代の移り変わりに伴う幾多の困難や、景気の影響を大きく受ける業界にありながら今日まで営々と続けて来られたことは、ひとえに素晴らしい企業理念の継承と実践の賜物であると推察致します。企業30年説というものがあるように、普通は30年の間、会社経営を続けることすら大変だといわれている中で100年もの間、会社を継続され、社員の方々の生活を守り続けてこられましたことに敬意を表します。
会社経営とは働く場を住民の方々に提供することであり、従業員の方々にとっては、生活の糧を得ることによって生活の土台を築くことが出来る大変重要なことでもあるのです。会社経営をされておられる社長さんは、従業員の生活安定だけではなく、社会貢献という立派なことをしておられるのです。それは企業経営を通じて儲かった利益は、納税され、そのお金は地域発展、維持のためにも利用されているからです。それ故、社長業というものは大変責任のあるものであり、またやりがいのあるものでもあります。
牧田さんには、是非今まで会社経営をして来られました先代や社員の方々に対する感謝の気持ちを忘れることなく、そして現在の社員の方々と一緒に企業理念を守り続け、更に素晴らしい牧田組にしていただきたいと存じます。これから更に100年、200年と続くような素晴らしい会社経営基盤を築かれますよう、心からお祈り申し上げますとともにご期待申し上げます。

富山経済同友会 特別顧問 株式会社アイザック 取締役最高顧問 中尾 哲雄

 牧田君、百年とは驚きですね。本当におめでとうございます。
牧田組百年の歩みは二十世紀そのものであり、大きな変革と激動の時代でした。戦争もありました。貴君が牧田組に戻ってきた1989年もバブルが崩壊し平成不況に陥った年でした。この激しい疾風の中に勁草として今日の繁栄を迎えられたことは貴君の経営手腕によるものであり、心からの敬意と拍手をお送りします。
貴君は売上至上主義をとらず、まず、社員を大切にし愛して、社員の成長こそ社の成長につながるという理念を掲げてきたからこそ今日の成功があるのだと思います。社員教育はもとより、学校教育にも高い関心を寄せ、PTA活動や講演等にも力を入れており、私も貴君から学ぶことが多くあります。全国最年少の商工会議所会頭として、また経済同友会の中心的なリーダーとして地域社会のために積極的に活動しておられることはわれわれの誇りでもあります。
ご自慢のお髭もようやく落ちついてきて風貌も立派に、ますますのご活躍、そして牧田組のますますのご発展を祈念申し上げます。

インタービジネスクラブ 主宰 株式会社アイバック 代表取締役社長 小沢 伊弘

 創立100周年、おめでとうございます。
100年に渡って企業が存続発展出来た事は、歴代に渡る経営者や社員の努力と精勤の賜物であり、社会に必要とされたという証であろうと思います。地域社会の発展に貢献するのみならず、社会の変化に積極的に対応し、常に広い世界に関わり、その中での新たなる企業としての役割を見つけ、真摯に達成目標に向かって努力する。これは、現社長の牧田和樹氏が、牧田組のキャッチコピーとして表した「由緒正しき 非・常識」に、企業としての生き様として表現されていると思います。
まさに、時代は、disruptive technology(破壊的技術革新)のみならず政治や経済形態を含めた大変革であろうと考えます。innovationなしには、存続が許されない時代なのでしょう。伝統に裏打ちされた牧田組のinnovative spiritを発揮し、次の100年の益々の繁栄発展を目指して邁進されると信じています。